1998年3月(春)
NGO「風の学校」の井戸掘り専門家、石田恵慈さんは井戸掘りのための調査に、メキシコ・チワワ州のタラウマラ先住民族が住む山岳地帯に入った。わたしは、デジタルカメラをもって同行し、撮影を始めた。現地に入るのに、日本からまる3日かかった。
標高2300メートル前後のテーブル台地状の山中に、タラウマラの村々が点在していた。すでに乾期が始まっていて、あたり一面、茶色に乾燥しきっていた。岩盤地帯という特殊な地質のため、井戸を掘ることはかなり難しかったが、石田さんは7つの村を調査することになる。欧米のNGOが手を出せないでいた取り残された村々であった。この地域の中心的な村である、ノロガッチ村のカトリックの修道院を拠点にして、石田さんは調査を始めた。乾期なので、涸れ川が車の走る道になっていた。

1998年7月(夏)
タラウマラ山中は、夏。雨期に入っていた。あたり一面は、緑色に変貌を遂げていた。5ヶ月に及ぶ井戸掘りのための、水質と地質の調査が終わろうとしていた。7つの村のうちで、どの村から掘り始めるか、石田さんは決断をせまられていた。しかし、どの村も遠くて、交通の不便な奥地にあり、岩盤地帯のために充分な水脈を見つけるのが難しかった。

1998年8月(夏)
石田さんは日本に帰国し、「風の学校」代表の中田章子さん、井戸掘りの師匠である宮崎さんに調査の報告をした。どの村から掘るか、どんな方法で掘るかを話し合った。アメリカのNGOのようにハイテクを駆使した方法ではなく、その土地で調達できる道具と資材を使って、村人たちと一緒につくる方法、技術移転をしながら井戸を掘るという、「風の学校」のやり方でやることを確認する。浅い大口径の井戸を掘ることになった。

1998年12月(冬)
「ぶた水・汚い水」という意味の名前を持つ村、アグアプエルカ村(標高2400メートル)での井戸掘りに、石田さんは取りかかっていた。大腸菌が繁殖している井戸があり、小学校ではこの井戸水を使っていた。村人たちとの共同作業をしたが、氷点下を割る寒い日もあり、村人たちが作業に現われない日もあった。村のホセ少年が、石田さんの小屋を毎日訪ねてきた。石田さんの井戸掘りが成功しつつあると聞いて、他の村からも井戸を掘ってほしいと依頼が殺到する。

1999年1月から2月
わたしは、日本のODAの母子保健プロジェクトの仕事で、お産のビデオを作るためにブラジルに出かけた。日本の国際援助のさまざまな側面に出会い、ODAとNGOの両方を体験。NGOの「草の根的な活動」の大切さを痛感する。石田さんの井戸掘りが気になっていたが、日本での雑務に追われ、メキシコ山中へは行くことができなかった。

2000年7月(夏)
1年半ぶりに、タラウマラ山中に出かけることができた。石田さんは、バシゴッチ村で井戸を掘っていた。村のパルマ家に身を寄せ、村人たちと3本の井戸を掘ったのだったが、乾期になると3本とも涸れてしまった。雨量が少なく、しかも降った雨は、厚い岩盤の上を流れてしまって、地下にしみ込むことがない。地下水に乏しい地質である。
乾期でも使える井戸として、バシゴッチ村での4本目が完成しつつあった。雨期のため、大雨が短い時間で、一日に何度も降った。涸れ川が大洪水になり、石田さんが掘った井戸のすぐそばまで洪水が押し寄せた。

2000年10月(秋)
雨量が例年よりもずっと少なかったので、干からびたトウモロコシ畑が広がっていた。石田さんは、屋根に雨どいをつけて、雨水を集める方法をメキシコのNGOと共同で始めた。
井戸掘りにこだわらず、水を貯水できる方法を探さなければならなかった。コエッチ村の小学校で、食堂の屋根に降る雨量を計算した。アグアプエルカの村では、ホセ少年と2年ぶりに再会し、石田さんが作った井戸を見に行った。


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