エッセイ・ログ
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(06/11/24更新)
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「ジャクスタ・共生する」の製作意図
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「浪華悲歌」
浪華悲歌(なにわエレジー)
毎日新聞(大阪版)
 今やアヤ子のような日本女性はいないだろう、と思いながら十余年ぶりに『浪華悲歌』を見た。日本のギャルたちは、「自己犠牲の美徳」という封建時代の女性が落ち込んだ「迷路」からはすでに完全に自由になっているに違いないからである。
 しかし、と考えなおす。この数年、日本のキャリアウーマンたちの欧米への留学熱と、ホンコンの国際企業への就職流出を考慮すれば、日本にはまだまだ「迷路」があるのかもしれない。

 わたしは映画を作りたくて、日本での方法を探したが、70年代の映画界では女性が劇映画の監督になるというのは「夢のまた夢」であった。それで一念発起。アメリカへ映画留学をしたのだったが、その大学の授業で、わが日本映画の名作『浪華悲歌』に出合った。
 山田五十鈴が演ずる主人公のアヤ子は、勇ましてくて、切なかった。映画の終わりで、「病気とちゃうか?」と聞かれて、「不良少女という立派な病気や」とへらず口をたたき、「なあ、お医者はん、こないになったおなごは、どうない治しゃはんねン」と助けを求める。「さあ、僕にもわからんわ」とそっけなく、顔見知りの医者は家路を急いで行ってしまう。再度、家を飛び出してきたアヤ子には、もう帰る「家」と「家族」はなかった。
 異国で見たアヤ子は、わたしの祖国の風土を痛いほど背負っていた。アヤ子の行動力と言葉の強さに、わたしは共感を持った。が、同時に、彼女の陥った「迷路」には苛々した。そして、「私は封建制度の色濃く残った、あの男性中心の日本社会を脱出して来たんだ!」と痛感し、ホッとしたのだった。

 『浪華悲歌』は、次作の『祇園の姉妹』とともに、日本映画史上は「傾向映画」の後期に位置づけられている。当時の社会批判運動が避けがたく、溝口映画にも色濃く投影された作品である。また、日本映画に初めてリアリズムを持ち込んだと言われる作品でもある。アヤ子は勝ち気で、自己中心型の女のようだが、根っこのところでは「家族」のための「自己犠牲の美徳」という「迷路」にすっぽりとはまり込んでしまっている。父親の横領金や兄の大学の授業料を工面するために、会社の社長と性的関係を持ったり、事業家を恐喝したりする。そして警察に逮捕され、新聞沙汰になり、「こわい女」「堕落した女」というレッテルをはられる。「家族」のためにした行動だったが、「家族」からも冷たく非難され、川面に浮かぶゴミのごとく、「社会悪」として行き場を失う。
 あの後、アヤ子はどうなったろうか、と思う時がある。「日本の迷路」を抜け出せたろうか。それともいち早く、日本を脱出してしまったんだろうか・・・。

 家族の崩壊が進んだ現代日本では、アヤ子の陥った「家族の迷路」は少なくなっているだろう。が、依然として「社会の迷路」はあちこちに仕掛けられていると思う。当時としてはまだ珍しい電話交換手の主人公、アヤ子のセクハラ問題から展開する、この『浪華悲歌』の「男性像」に注目しながら、ぜひご覧いただきたい。

(毎日新聞 夕刊「シネマ愛eye 映画誕生100年」 1995年8月4日掲載)
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