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フィクションとドキュメンタリー 欲ばりな話だけども 日本映画監督協会公式サイト 掲載 |
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わたしが意識して映画を作りはじめたのは、アメリカの映画学校に入ってからである。それまでは、8ミリカメラで心象風景を撮っていたように思う。
映画学校では、ストーリーを考えた。
若い男が、あこがれの女性とデートの約束をして待っているけど、来ない。すっぽかされたと思って、別の女性に電話をすると、喜んで来ると言う。待っていると、あこがれの女性もやって来て鉢合わせになり、慌てふためくというコメディだった。
卒業作品として作ったのが、「戦争花嫁」と呼ばれた日本女性たちとその子供たちの物語だった。異国でどんな人生をおくったのか、渡米前からずっと気になっていた存在で、個人的にも「戦争花嫁」だった日本女性たちと知り合ったということもあった。
彼女たちを取材してドキュメンタリーを撮ることも考えたが、この時、わたしにドキュメンタリーを作る力があるとは思えなかった。で、ドキュメンタリータッチの短編映画になった。
ドキュメンタリーはむずかしいと思う。どこまでその人たちに入り込んでいけるのか、自問自答しなければならない。大切な信頼関係を壊しはしないかと、怖くなる。
いつか、「戦争花嫁」たちのドキュメンタリーを撮りたいと思っている。当時、学生だったわたしを、異国の地での彼女たちのパーティに呼んでくれて、日本料理をご馳走してくれたときの和やかで奇妙な空間は忘れられない。
話は飛ぶが、今、準備中の映画は実際の事件を取材し、モデルにして、シナリオを書いている。それが大変な作業になっている。登場人物が多いのも一因だが、それぞれのエピソードが面白くて、割愛できなくて悩んでいる。
また、取材する過程をドキュメンタリーにしたら面白いだろうとも思うが、このことに関与していたことを公にしたくない人がたくさんいてむずかしい。
というわけで、つきない悩みを抱えて、シナリオ書きと製作準備中である。
わたしは、いつの時代も現実のほうがずっと面白いと思っている人間のひとりである。アメリカで知り合った友人たちの実話はどれもフィクションを超えている。
ストーリーテリングの映画作りを学んだものの、最近はドキュメンタリーに傾倒して、ブラジルやメキシコにも行ってしまった。
というのは、わたしが年をとったと言うことだと思う。怖いものが少なくなったという居直りかもしれない。若いころの怖いもの知らずとは違って、怖いものを知ってからのドキュメンタリー作りは、また一味違うものが生まれるかもしれないとの予感がある。
そして、ドキュメンタリーを作ろうと思っている反面、そろそろ本格的にフィクションを作る時が来たようにも感じている。時間も限られて来ているのに、なんだか、欲ばりな話である。できるところからやって行こうと思う。
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