エッセイ・ログ
「ドキュメンタリーの多様性とゆくえ」
「フィクションとドキュメンタリー 欲ばりな話だけども」
「第7回ソウル女性映画祭に参加して」
(06/11/24更新)
「映像が連れて行ってくれる世界」
「タラウマラの村々にて」を作って
「なぜ井戸掘りなのか、NGOなのか、国際協力なのか」
「ジャクスタ・共生する」の製作意図
「お産のビデオの周辺」
「浪華悲歌」
お産のビデオの周辺
 ブラジルで一番貧しいといわれているセアラ州で、「人間的なお産への道」というビデオを作りました。日本のODAとブラジルの保健局が「安全でやさしい出産」をテーマに母子保健医療の活動をしていて、このビデオは、妊婦さんが病院や診療所で見るためのものです。文字が読めない妊婦さんが多いので、ビデオは有効な教育ツールとなります。

 ブラジルでは、出産時における母子の死亡率が高く、帝王切開率も高いです。中絶は法律で禁止されています。13歳、14歳という若い女性も出産します。

 妊婦が知る必要のある基本的なことは「妊婦検診」というテキスト形式の短いビデオにまとめましたが、医療の介入の少ない自然分娩の良さや「安全でやさしい出産」のケアを伝えるにはドキュメント形式がいいと考え、片道3時間の古い町のカソリック病院へ何度か通いました。「今、すばらしいお産があったばかりよ」とか、「昨夜はお産ラッシュだったのよ」と、到着早々に言われてがっくりしました。
 このビデオでは出産時のリアルタイムを大切にしたいと思っていました。出産の撮影を妊婦さんが了解してくれるかどうか不安でしたが、思った以上に快く承諾してくれました。病院のシスターや看護婦さんたちとの信頼関係、ブラジルのおおらかなラテンの気質が作用したようです。また、シスターが病院に泊めてくれたおかげで、ようやく自然分娩の妊婦さんたちを撮影できました。

 お産のビデオを作るにあたり、出産経験のないわたしは、京都の助産院で、夫や家族が撮ったホームビデオのお産を何本か見せてもらいました。リアルタイムで撮っている出産の映像としては、はじめて見るものでした。ずっしりとくる感動がありました。もっと早く、出産のリアルな映像を見たかったと思いました。わたしの中にあった、出産への恐怖が消えました。

 ブラジルでは、夫や家族が出産に付き添うことができる病院はまだまだ数が少ないです。ビデオに出てくる18歳の未婚の女性は、お母さんに付き添ってもらって出産しました。もうひとりの19歳の女性には、同年代の若い夫が付き添っていましたが、こわくなって、出産中はどこかへ消えてしまい、生まれてから再び笑顔で現れました。

 ビデオの中では、生まれた赤ちゃんはへその緒が付いたまま、お母さんのお腹の上にのせられ母子の対面となります。赤ちゃんはこの時、2時間ほどは覚醒するときで、この時の母子のふれあいがその後の母子の関係にとても重要になると助産婦さんはいいます。母と子が生命の尊さを互いに感じとる時であるようです。

 お産のビデオを作っていて実感したことは、出産と映像づくりは本当によく似ているということでした。赤ちゃんには「生まれてくる力」があり、お母さんに「産む力」があるように、映像にも「産む力」と「生まれる力」があり、二つの力が一緒になって、映像が生まれる。自然分娩は、生命の誕生だけでなく、映像の誕生にも必要であると。

 また、出産は、女性が自分自身と出会う大切な機会であるといわれています。映像づくりも自分と向き合わざるを得ません。そして、多くのサポートやケアがあって生まれてくるものだということもよく似ていると思います。人間はひとりで生まれて、ひとりで死んでいくというのは本当であり、ウソであると!
 もっと若いときに、出産の映像を見ていたら、わたしの人生は変わっていたかもしれないと、お産のビデオを作りながら思いました。

(岩波ホール「友」 2000年秋号)
hiroko yamazaki/juxta pictures HOME