エッセイ・ログ
「ドキュメンタリーの多様性とゆくえ」
「フィクションとドキュメンタリー 欲ばりな話だけども」
「第7回ソウル女性映画祭に参加して」
(06/11/24更新)
「映像が連れて行ってくれる世界」
「タラウマラの村々にて」を作って
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ドキュメンタリーの多様性とゆくえ
日本映画監督協会会報 2009年12月号掲載
 山形国際ドキュメンタリー映画祭で日本映画監督協会賞を設立するということを知ったのは、大阪で父の看病をしていた時だった。その過程での会議や煩雑な実務など、国際委員会のメンバーとしてわたしは何もお手伝いできずにいた。個人的には「アジア千波万波」部門に応募していたが、選ばれる可能性はとても低くて、あの時点では山形は遥か遠くにあった。

 斉藤信幸さんから審査委員依頼のメールが来たのは9月の上旬だった。誰かが仕事で審査委員を辞退したのだろうか。わたしは父の死の悲しみが少しやわらいだ頃で、やはりわたしの作品が上映されないとわかった後だった。映画館の椅子に身を沈めて毎日たくさんの映画を見たいと思った。映画漬けになって元気になれるかもと。

 山形行きの当日は台風9号が日本列島を縦断して大阪からの便は次から次へと欠航。やっと翌日の午後に間の抜けたような到着となったが、現場担当の斉藤さん、恩地審査委員長、根岸国際委員長とロビーで会ってようやく山形に来たことを実感した。

 いざ見るとなると全体では120本以上、コンペとアジア千波万波だけでも34本ある。実質的には5日間しかなく、一日4本見たら、合計20本は可能だが、中には『馬先生の診療所』のように3時間35分という長い作品もある。

 恩地委員長の直感と斉藤さんの采配を両輪に、審査委員のそれぞれの個性と嗜好で各会場や劇場に散らばった。映画と向き合うのは楽しかったり、しんどかったり、孤独な作業ではあるが、劇場に他の審査委員がいるとなんとなくうれしく心強かった。

 ある作品上映の後、劇場内がまだ暗いのに、「これはドキュメンタリーですか!?」と大声で怒鳴るおじさんがいた。明るくなって後ろのほうを見ると、審査委員のひとり、金子修介さんである。隣に座っていた恩地さんに「金子さんです」と囁くと、恩地さんが「そうか」とニコニコしてうなずいた。ジャン・ユンカーマンさんと根岸さんの顔も見えた。

 後で知ったのだが、わたしたちが見たのはフェイク・ドキュメンタリーというものだった。実在した希望ヶ丘団地が閉鎖となる過程で、かつて子供がいなくなったという事件をフェイクし、子供を見かけたという人々の証言を拾い集めるという展開だ。事件は作り話だとわかって、「子供がいなくなった」という素材のきわどさゆえに感情を翻弄されたというあと味の悪さが残った。しかし良しとする若い発言者もいた。川部良太監督の『ここにいることの記憶』という作品である。これが朝晩のミーティングで、根岸さんのレポートにあるように「監督の持つ意図が独善的で稚拙なのかそれとも斬新な魅力なのか」という議論になったのである。

 そんな中で、監督協会賞を受賞したツォン・フォン監督の『馬先生の診療所』(中国)は、現実の「人間」を真正面にすえて捉えようとしていて好感がもてた。出稼ぎ、借金、嫁買い、干ばつ、給料の未払いなど過酷な話ばかりであるが、村人たちのたくましさと優しさ、臨場感あふれる語りに思わず聞き入ってしまう。狭い診療所の中で過酷さを競うかのように語り、互いの過酷さを分かち合う村人たちを撮影できたのは、ツォン監督のあたたかいまなざしがあってこそだと思った。村で一年間生活した後に撮影を始めたという。

 今回の映画祭のテーマは貧困を扱ったものが多かったが、コンペ作品は完成度の高いものが多かった。そのスタイルやアプローチの多様性にあらためてドキュメンタリーの魅力と可能性を感じた。

 とくにエディ・ホニグマン監督の『忘却』(ペルー)はウィットが効いていて愛情あふれるインタビューは圧巻だと思った。ドキュメンタリーだけど、劇映画のようでもあり、美しく不思議な作品だった。山形は4回目で、前に山形市長賞をもらったベテラン女性監督ということで監督協会賞の対象外となった。この作品で彼女は2度目の山形市長賞を獲得した。

 『母』(ロシア・スイス)はふたりの若い男性監督、アントワーヌ・カタンさんとパヴェル・コストマロフさんの作品で、9人の子供をひとりで育てるロシア人女性を追ったドキュメンタリーである。状況の行方が明確でなく観客の想像力にあずけているところが審査委員の意見の分かれるところとなったが、わたしは作為のないドキュメンタリーとして好感を持った。

 アビ・モグラビ監督の『Z32』(イスラエル)は元イスラエル兵士がパレスチナ人警官を殺したことをカメラの前で恋人に証言するという知的な試みの映画である。個人を特定できないように元兵士と恋人の顔をCGマスクで覆っているので、観客として最初のころは居心地悪く思うが、見ているうちにそのハンディと窮屈さがかえって普遍的な個人となって、「殺した」という行為を恋人としてどのように受け止めるかと観客に投げかけてくる。また「殺した」元兵士にもなりうると。その意図するところの複雑さと深刻さは、戦争が絶えないこの世界での計り知れない示唆となっていると思う。しかし、後で聞いたところによると、恋人の女性の職業は俳優ということだった。どこまでが事実なのか、作られた部分はあるのかという疑問が残った。

 『されどレバノン』(レバノン)は若手女性監督のエリマーン・ラヘブさんがレバノンの複雑な政治状況と人々の生活を体当たりで伝えようとする平和への願いであふれていた。彼女の父親が、「この国には未来はない。海外での生活を考えるよう」に促す場面がある。授賞式の後、ロビーで見かけたので、国を出るのかと聞くと、「とんでもない」と答えが返ってきた。「では大統領になるように」と言ってみると、肩をすぼめた。

 今回の山形では多彩なドキュメンタリーを見ることになったが、特に気になったのが、フェイク・ドキュメンタリーという試みである。ノンフィクションの中にドラマ構成を入れる手法はすでに広く定着しているが、ドキュメンタリーに事実でないことを事実であるかのように埋め込む手法はどう捉えていいのだろうか。文学の世界では、自伝といえども事実でないことを織り交ぜて書く作家がいるし、小説では事実を題材に大きく脚色することが多々ある。

 そういえば、ノンフィクションとフィクションの「ハイブリット化」が、ヨーロッパでは流れの兆しがあると、ドイツで学んだ東美恵子監督(『ユリ 愛するについて』)がQ&Aで発言していた。すでに次回作を広島で撮って編集中とのこと。主人公のドイツ人女性だけが俳優で、他の登場人物は広島で生活している一般の人々だという。フランス映画『24時間の情事』を思い出して、どんなハイブリットな映画に仕上がるのか楽しみだ。

 今年の山形では、『要塞』(スイス)、『生まれたのだから』(ブラジル)、『アメリカ通り』(韓国)なども印象に残ったが、"新しい映画"としてノンフィクションとフィクションの壁を完全に取り払った模索を若者たちがしていると知ったしだいである。インターネットの世界での「バーチャルリアリティー」という言葉を聞いたのは20年ほど前のアメリカだった。その時はわたしもまだ若かったが、果たしてこれからの映像の世界はどのような展開になるのであろうか。おばさんとしては楽しみで興味津々である。著作権をめぐっての『RiP! リミックス宣言』のような映画も出てくるし、ますます波乱が予想される。とはいうものの、わたしはわたしのスタンスで映画作りをしていくしかないとも思った。

 山形から戻っての一週間はどっと疲れていたが、精神的にはとてもリフレッシュさせていただきました。「日本映画監督協会賞」設立に奔走された方々に深く感謝します。そして山形と監督協会がいい関係であるようにわたしも微力を尽くしたいです。

hiroko yamazaki/juxta pictures HOME