エッセイ・ログ
「ドキュメンタリーの多様性とゆくえ」
「フィクションとドキュメンタリー 欲ばりな話だけども」
「第7回ソウル女性映画祭に参加して」
(06/11/24更新)
「映像が連れて行ってくれる世界」
「タラウマラの村々にて」を作って
「なぜ井戸掘りなのか、NGOなのか、国際協力なのか」
「ジャクスタ・共生する」の製作意図
「お産のビデオの周辺」
「浪華悲歌」
「ジャクスタ・共生する」の製作意図とその背景
アジア系アメリカ文学研究会ニュースレターにて掲載
 「ジャクスタ・共生する」は、29分の短編映画である。カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)大学院での、わたしの卒業製作の作品で、1989年のロサンジェルス女性映画祭にて、最優秀短編映画賞(リリアン・ギッシュ賞)を受賞した。

 アメリカ兵を父に、戦争花嫁(war bride)であった日本女性を母に生まれた混血児(racially-mixed-child)ケイトの31歳の現在と5歳の時の回想が交錯する。大人になったケイトが、幼なじみのテッド、母の友人、同じような立場の女性たちと接していくうちに、アメリカの複雑な人種差別構造の中で翻弄された母を少しずつ理解していく話である。

Juxtaはラテン語からきていて、英語では「side by side」という意味になる。日本語では、「並列」「そばに」という意味だが、副題として「共生する」と訳した。映画の手法で、juxtaposition(交錯する)という手法があり、ここでは物語の時間の流れが交錯すると共に、登場人物たちのアイデンティティが、白人とアジア人との混血児(Eurasian)、黒人とアジア人の混血児(Afroasian)という2つのルーツが交錯し、その二人のアイデンティティが交錯する話でもある。

 白人と結婚したケイトの母は、渡米してからは白人社会にアイデンティティを預けることになり、黒人と結婚した女友達の子供を差別してしまう。日本では異人種間結婚(inter-racial marriage)を理由に、差別をうけた女性と子供たちが、自由で平等の国、理想の国であったアメリカで、皮肉にもその友情を壊してしまう。アメリカの複雑で過酷な人種差別の状況で、アジア人としてのアイデンティティは、当時まだ希薄であった。

 マイノリティがマイノリティを差別するという複雑な構造に落ち込み、翻弄されたケイトの母は、唯一の友を無くし、罪の意識を負い、神経障害(nervous break down)を起こす。黒人と結婚した女性ではなく、白人と結婚した女性がアイデンティティを喪失する話にしたのは、白人優位社会の閉鎖性を描きたかったからでもある。そして次世代への希望として、Eurasianとしての二つのルーツを受け止めるケイトと、日本人のルーツを拒否して、黒人社会の中で生きるテッドの、それぞれのアイデンティティの模索と、共生への願いを描きたいと思った。異人種・異文化交流への願いを織り込んだ。

 アメリカでいろんな質問状に答える際、民族的背景(ethnical background)が問われる項目がある。白人か、黒人か、ヒスパニックか、アジア人か、ユダヤ人か、先住民か、etc. である。この項目の一つに丸をしろというわけだが、一つでは収まりきらない人々がアメリカ社会では増え続け、複数の民族・人種的アイデンティティを主張している。日本にもこんな日がやって来るだろうか。
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